〇五下り目


 ぢばの理、真のたすけ場所の理について教えてくださっています。

 真実のたすけ場所は、をびや ほうその 許しを教えて、生れ替わりの迷信 などから脱却させ、男 五分・女 五分の補い合いたすけ合い によって次の生命が生れるのです。

 女親から五分、男親から 五分の身 体が生き続け子供になって、次の 生命が生ま れ生き続けるのですから、どこか で死んだ 人の前生の行いなどが、因縁と なって出 てくるようなことはないのです。

業病など恐れるなということを言われたくだりです。

 そしてその教えを正しく世界に 及ぼして 「大和ばかりやないほどに、国 々までもたす けゆく」ために、ここは この世の 元のぢばであるから、優しい心 で包んで育て、正しく 教えて行 かなければならないとおっしゃっています。

一ッ ひろいせかいのうちなれば
    たすけるところがままあろう


 この世界中には、たすけ場所 といわれ ているところが、あちこち にあるだ ろうという意味です。

二ッ ふしぎなたすけはこのところ
    おびやほうそのゆるしだす


 「ふしぎ」というのは不合理 という意 味ではなくて、不可思議・考え られない、ワン ダフルという意味です。

 考えられないほどの、今まで 考えが及 ばないほどのたすけが 現われる場所、そ の元を教 えた場所がここです、本当のたすけ 場所はここですよ、と言う意味です。

 おびや許しで教えが始まって、 教えつづ けているのはかんろだいつとめです。

 かぐらつとめと十二下り のみかぐ らうたを教え続けている のだということです。

三ッ みずとかみとはおなじこと
    こころのよごれをあらいきる


 「みず」というのは真理のことです。 教祖の教 えて下さった教理のことです。

汚れを洗い流す水のように、こ の真理が 人間の心の汚れを洗って くれるのです。

心の汚れとは迷信のことです。

 おびやほうその許しで、人類が 長い間背 負ってきた彼の世の怖れを、見 事に、き れいになくして下さっているのです。

これを「心の汚れを 洗いきる 」と、教えてくださっているのです。

四ッ よくのないものなけれども
    かみのまえにはよくはない


教えが始まった場所、真理を 教えてい る場所の性質を言っています。

 「よくのないもの」という 最初の「 よく」は、かんろだいを 六人の人が囲んでつとめると、 隣の人の ものを取る手振りをします。

 次の「かみのまえには」 のときに は、かんろだいの前へ進んで 行って、前から 手前に引く手振りをします。

 これは、かんろだいの 理を考え たら、たすけ合いの世界 で自分の身惜しみをする ような欲 さへなくなる、とい う身振りになっているのです。

五ッ いつまでしんじんしたとても
    ようきづくめであるほどに


「陽気づくめ」ということが お道の一 番の特長です。

ことごとく陽気という 意味で、 陽気づくめなのです。

すべてが陽気という意味です。

六ッ むごいこころをうちわすれ
    やさしきこころになりてこい

七ッ なんでもなんぎはささぬぞえ
    たすけいちじょのこのところ

八ッ やまとばかりやないほどに
    くにぐにまでもたすけゆく


 このおつとめの理を学ん で、それ を身につけて互いたすけ合い の陽気づ くめの世界を創ってゆくのです。

 それを大和だけではなく 世界中に 及ぼすために、酷い心でなく 優しい心で教えていこうという、場 所づくり 、雰囲気づくりをして くれとい うことをおっしゃっているのです。

九ッ ここはこのよのもとのぢば
    めづらしところがあらわれた

どうでもしんじんするならば
こうをむすぼやないかいな


 世界中で妥当性を持つ教えを 伝えるた めに、いつでも、どこでも、誰に でも納得できる 教理を正 しく伝えなければならないのです。

 そのために、天保九年十月二 十六日、 大和のぢばで、中山みきが 教え始めた教理を 純粋に保 たなければならない、ということ をおっしゃっているのです。

 ぢばの理は純粋でなければ ならない と、常に、おさしづでも 繰り返さ れているのです。

 この厳格さを逆手にとって、ぢ ばから打 ち出すのだからすべて 正しい、という のは間違いです。

その姿というのは堕落 してしま っている姿であるのです。

 信心するなら、おつと めを行な うだけの心が出来た者が 人間のつながりを つくって くれ、それを「講を結 ぼやない かいな」というのです。

 正しい教理を学び、おつ とめをす るのがたすけ場所です。

 正しいおつとめをしていな いところ には、ぢばの理はないのです。

これが大切なところです。

教祖の教えの「ぢばの理」と 言うのは そういうものなのです。

 ぢばの理はどこへでも持 って行か なければならないもの ですけれども、そのため にもぢば は純粋でなければならないのです。

 ぢばは場所という意味で、お さしづの 中で、信者詰所に足伸ばす ぢばとい う言葉が使われています。

 ぢばは、かんろだいを建てる 場所、お つとめをする場所です。

そして教祖が教え始めたのが元のぢばなのです。

 ぢばの理とは、元のぢば で教えら れた正しい教理を表わしてい るということです。

 ぢばの理は世界中へ広げな ければな らないのです。

そうでなければ信仰する価値 がないと いうことです。


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